ベラルーシへ-分断された国-の国境を越えようとしている。あの日の邪悪な黒い風は70%ものチェルノブイリの放射能をここにもたらした。ベラルーシ領に深く旅するほど、どれだけ広大な地域が毒され、2525年になっても残っているのだということが分かってくる。ほとんどの家は木でできている‥木はスポンジのように放射能を吸い込むのだ。
これはベラルーシの共同墓地だ。多くの村で、木の十字架の走り書きだけがここで豊かな生命があったことをしめす年代記になっている。ここの祈りをささげた、愛された人たちもここにいるのだろう。
私はこの村を地図に見つけられなかった。だが、共同墓地は1800年代から1986年まで、この村井に住んでいた人たちは皆「スミノフ」姓だとある。
この村は、兄弟が姉妹と結婚し、皆同じ姓を持っていた秘密の村だったのだろう。
私は村を地図に書くと、スミロノフカと名前をつけた。有名なウォッカと同じだ。ここに住んでいた人たちと、スミノフウォッカを造った人たちとのつながりはなんだろう?
想像するしかできない。答えられる人は誰一人いないのだから。
チェルノブイリ地域に入る
ガソリンスタンドはない。タンクは満タンでなければ。私は燃料の残りと修理道具をチェックした。私は核の砂漠のど真ん中で遭難したくない。